【宅建ダ】座右の銘。折に触れて思い出し、自分の励まし・戒めとする言葉(新明解国語辞典)

折に触れて思い出し、自分の励ましとしている言葉。
たしかに、生まれてきた意味はこれだっ!!!!
折に触れて思い出し、自分の励ましとしている言葉、だわね。
もちろんこれは、脚本家の笠原和夫氏の手によるものだが、このセリフが登場する前後を、いまいちど確認しておこう。
大友:「村岡さんとわしとはで、戦後の闇市時代からの義兄弟じゃ。このマーケットもよ、村岡さんと二人で作ったもんだがよ、商いは神農の稼業じゃいうて言われて綺麗に手を引かれよったじゃけん」
【おーさわ注】
・神農とは:「露天商、的屋(てきや)の隠語」大辞林より
・もともとは、神農稼業(テキヤ稼業)と博打稼業に分かれていて、棲み分けができていた。大友は神農稼業で、村岡は博打稼業。博奕稼業の村岡は闇市から手を引いてくれた(という仁義がある)、と大友は言っている。
勝利:「こがなマーケットが何の役に立つんなら。見とってみい。いまに物が自由に出回るようにんたったらで、客は誰もよりつかんようになるがよ。それに比べて競輪場いうたらよ、のう、年に10億の売上じゃけん、4パーセント市に納めたら、残りは理事連中の山分けじゃ。他にも宣伝やら売店やらいうてよ、なんぼうも銭が転がっとる。黙っとりゃア、それらはみんな村岡の懐に入るんで。」
大友:「競輪は博奕じゃけん、博奕打ちのテラじゃろうが。神農道の稼業人が手をつけては、仁義が立たん言うちょるんど」
【おーさわ注】
大友(勝利の親父で組長)は、村岡の競輪場には手を出すなと言っている。このとき村岡の力は強大で、大友は波風を立てないようにしている。「仁義が立たん」というセリフが肝ですね。で、この映画は「仁義なき戦い」である。となると、このあとの展開は、当然のことながら、実の親父のこの弱腰に、勝利はブチ切れるワケです。
勝利:「なにが博奕打ちなら! 村岡が持っちょるホテルは何を売っちょるの、淫売じゃないの。言うなりゃあれらはおめこの汁で飯食うとるんで。のう、おやじさん、神農じゃうと博奕打ちじゃろうとよ」
わし等うまいもん喰ってよ、マブいスケ抱く為にうまれてきとるんじゃないの。
それも銭がなけにゃア出来やせんので。
ほうじゃけん、銭に体張ろう言うんが、どこが悪いの!?
仁義なき戦い名言集という類のムック本に、必ず掲載される「名言」ですが。
それも銭がなけにゃア出来やせんので。
ほうじゃけん、銭に体張ろう言うんが、どこが悪いの!?
個人的はこちらもしびれる。
「銭がなけにゃア出来やせんので。」
ここに、仕事(稼ぐ)意味を見出す。
気持ちいいんですよね、このセリフがね。
なんのために働くんですか、とか、働きがいとか、自分にあった仕事が、とか、職場の人間関係がとか、なんかそういうことはどうでもよくて、とにかく、四の五のいわんとカネを稼げがんかいコラ!!! と言ってくれているような、爽快感があります。
昨今の若い人たち、良い子のみなさんに、送りたい言葉です。
牙を抜かるな。
稼げ。
抱け。
・・・というようなことを、誰も言わないしね。
ではここで、動画で確認してみましょう。
YouTubeにアップされていました。
しびれますっ!!!
やってもみんで勝つも負けるもあるかいっ!!
ということで、明日も宅建ダイナマイトを、これからも宅建ダイナマイトを、めいっぱい活動させていく所存であります!!