【宅建ダ】灼熱の東京・渋谷の御嶽神社。階段で汗だく。このときまだ午前10時50分だ。

この日、渋谷の宮益坂の喫茶店で打ち合わせ。
すこし早めに到着したオレたちは、街宅建がてら、界隈にある御嶽神社をお参りしてみようということになった。
渋谷のビル街、商業地域の高台にある神社だ。
神社に行くには、けっこうな階段を登らないと!!
▼御嶽神社
https://jinjamemo.com/archives/miyamasumitakejinja.html
でさ。
この神社に限らず、都内にあるそこそこ古くて大きい神社や寺って、高台にあったりするでしょ。
なんで?
ではちょっと、謎解きを〜\(^o^)/
こちら、たまに読むワタクシの愛読書ですが。
この書籍の「第3章」が
死と森 渋谷〜明治神宮
で、その第3章は、この地図からスタート。
ベージュの陸地っぽいところと、海っぽい濃い青の部分があるでしょ。
ちょうど御嵩神社は、ベージュと濃い青の境界付近にある。
でね。
濃い青のところが沖積層。
ベージュが洪積層。
ベージュの洪積層(こうせきそう)は古代からある土地で台地となっている。
堅い土でできている地層。
で、地盤も盤石。
見ての通り、御嶽神社も洪積層(高台)にある。
濃い青の沖積層(ちゅうせきそう)は洪積層よりも新しく土地になったところで、一段低い「低地」になっている。
地層も軟弱で砂地だったりするらしい。
・・・っていうか、いまは濃い青のところも水が引いてるから陸になっているけど、濃い青のところは海だったのだ。
あ、説明の順序がアレでしたね。
洪積層(ベージュところ)がそもそも陸地で、沖積層(濃い青のところ)は海だった。
こっちのほうがわかりやすいかな。
で、いつ頃まで海だったたかとうと、縄文海進期(というのがあったらし)。
いまから何千年前か何万年前かよくわからんけど、その時代はいまより海面が5mくらい高かったらしい。
なので、東京なんかだと、下町をはじめ、都内各所の低いところは海だった。
でね。
お気づきの方も多いと思いますが。
さっきも言ったけど、都内にあるそこそこ由緒ある古い神社とか寺とか、高台にあったりするでしょ。
お参りに行こうとすると「えー、こんなに階段を登っていくの!!!」みたいな。
たとえば都内だと、虎ノ門にある愛宕神社とかも。
▼愛宕神社
・・・っていうか。
その昔、陸地だったところに神社と寺を作ってた。
どうやらこういうことだったみたい。
なので、神社や寺があるところをトレースしていくと、そこが縄文時代に陸だったところ。
この書籍でちょいちょ出てくるベージュの陸地と濃い青の海の地図になるわけだ。
なので、この書籍の帯にもあるとおり
沖積層と洪積層が織りなす山の手と多摩川と隅田川と海民が作る下町の複合体が東京である
ということなのでありましょう。
最後に、こちらの書籍から一部引用させていただきますと・・・
東京のち質における洪積層と沖積層の境界地帯には土台の祭祀場が設けられ、それと同じ場所には中世や近世の人々が神社や寺を作り、それが近現代の土地開発にまで大きな影響を及ぼしているのです。
とのこと。
たまには、こういう視点でも、街歩きしてみてね。
こんなふうにね。
今日の動画です。
▼問2と3解説【夏から宅建】宅建合格応援企画「よく出る問題333」