【宅建ダ】「させていただく」をおちょくっていたのだが、あーそうりゃそうだよなと反省す

令和5年4月16日(日)の読売新聞の7面「コラム」に、こんな記事があった。
「させていただく」使いどころは?
いっときほどではないんだろうけど、若い衆(粋な感じで「わけーし」と読んでね)がなんだか連発して使ってたよね、「させていただく」というフレーズ。
敬語といえば敬語なのであろう。
へりくだり表現というんだっけ?
記事によるとね、2007年の文化審議会答申「敬語の指針」というのがあったみたいで、それによると「させていただく」については、何かを「①相手方や第三者の許可を得て行い」「②そのことで恩恵を受ける」という事実や気持ちのある場合に使われる、とのこと。
①②の条件を満たしていなくても、満たしているかのように見立てて使う用法もある、とも。
でもうっとおしかったよね。
お休みさせていただきます、とか。
まぁこれくらいはいいかもしれんが「応援させていただきます」なんていわれると余計なお世話だ(と言ってしまいそうだ)。
あとは「感動させていただきました」。
あぁそうかいそりゃよかったね。
・・・ってか、勝手に感動してりゃいいじゃんよ。
こないだは「バイト代を上げさせてもらいました」とか言っているやつがいて、いったい誰がなにをどうしたんだ的な。
あとさ、若い衆に「ご理解ください」と言われるのも腹が立つよね。
わかってくださいよ、おっさん。
アタマが悪くて理解できないと思いますけど、でも理解してね。
みたいなふうに聞こえる。
・・・被害妄想(笑)
なので、そんな風潮をおちょくって、「宅建講師稼業を35年させていただいております。これからもがんばらさせていただきます。ご理解ください」と、なんかそんなことを言う機会があるたびにふざけてた。
ちなみにですが。
この「させていただく」だが、これって昨今の流行りかと思っていたのだが、どうも古くからある言葉らしく、記事によると、世の中で増えてきたのは1990年代かららしい。
そーだっけかなー。
1990年代といえば、オレもまだギリ若い衆といえば若い衆だったかも。
でもオレは、当時(も今もww)へりくだってなかったからなー。
そんな「させていただく」。
で、ここからが今日、ワタクシが言いたいことなんだけど。
すみませんでした!!!!!
若年層の「ストレス」もたいへんらしいのだ。
記事から引用すると、〈若年層は幅広い使い方に抵抗感が少ない。SNSなどを通じて顔も知らない人と接することが増え、そんな時代の緊張感を和らげるために多くの「させていただく」が出回っている〉のではないかと。
さらに。
(年配者にはこんな注文も)「若い人の言葉に違和感を覚えても『させていただく警察』になるのではなく、ぜひ、お手本を見せてあげてください」
極めつけがこれ。
泣けた。
すまぬ。
コロナ渦に学生生活を送り、対面で互いを探り合う場数に恵まれなかっただろう人たちの挑戦を応援したい。
そっか。
場数に恵まれなかったか。
・・・・応戦するぜ。