【宅建ダ】令和のお盆に、100年前のお盆でのできごとを土地台帳で探ってみるという企画

たまに、いわゆる大企業の正社員の担当者から「宅建ダイナマイトさんの本拠地はどこですか」とか聞かれたりする。
・・・本拠地ってなんですか?
「あ、ちゃんとしたオフィスとか所属している団体とか」
・・・なるほどですね。
「どっかの大手に所属してると安心じゃないですか」
この風の時代(←星占い系のみなさん、なんかそういうことなんだよね。ちなみにオレは水瓶座だぜ)に、いまだに地の時代(というんだっけ?)の発想らしい。
でもそういう発想じゃなきゃ、奴隷、じゃなかったロボット、じゃなかった労働者という名の正社員なんかやってらんねーわな。
そんな「人まかせ」だと、危なくってしょーがねーと思うんだが、ま、いいや。
これもコヤツの才能だ。
有名な言葉がある。
奴隷になるか、茨の道を行くか。
どっちもどっちだが、でも人生なんて、そんなもんだ。
だから楽しい。
あ、そんでな。
宅建ダイナマイトはノマド(だってさ、事務所とか教室とかいらねーじゃん笑)なので、今日は今日の風にまかせ、池袋でお仕事をしてみることにした。
あ、なんで池袋かというと、ひのきPが池袋に用事があったみたいで、その流れでカフェにてあれこれ。
ちなみにこの超高層タワーは特定街区にて。
都市計画決定告示:昭和47年11月24日
指定容積率:780%
街区規模:約6ヘクタール
最高高さ:248m
容積率が780%くらいなんだけど、もともとの敷地が広大だから、容積率(延べ面積)を真ん中に寄せてあげればドドーンとこうなるのだろう。
さぁまだまだ夏は続く(←と、ここで謎のフレーズww)。
寄せて上げていこう。
眩しい季節だ。
よろしくお願いいたします(←謎のフレーズ第2弾ww)。
そんでね。
この界隈なんだけど、この超高層タワーの完成は昭和51年で、以来、この街のランドマークとなり、買い物客でにぎわうエリアとなった。
ついでだが。
都市計画決定告示の年月日を見てもらいたいんだけど、ほらね、やっぱり昭和47年ごろ。
ニッポンがいちばん輝いていたといわれている1973年あたりだ。
宅建ダイナマイターズ必読の「日本列島改造論」の出版も昭和47年だしね。
あ、そんでだな。
ちょうど8月のお盆のころなので、せっかくこの界隈にいるんだから、この超高層タワーのお膝元の公園に行ってきました。
なんの変哲もない、こじんまりとした街中の公園なんだけど、ちょっと静かな一画がある。
いまはにぎやかなショッピングタウンになっているけど、その前はこうだったんですね。
ちなみに、この御影石の重量は6トンらしい。
かつての処刑場だった場所。
でね。
このあたりのいきさつがどうだったのか、ちゃんと知りたいなと思ったこともあって、関連本を読んでみたり映画を観に行ったりしてたんだよね。
で、ワタクシの関心は、この地が監獄(昭和21年に接収されてからは、例のプリズン)になったのはいつか。
・・・っていうか、そもそもこの土地は誰のものだったんだろうか?
監獄の敷地がいまのショッピングタウンになったわけだから、そのいきさつを知りたい。
で、ちょっと時間があったので、そんじゃ土地の登記事項証明書でも入手してみっか。
とりあえず登記所へ行ってみた。
係の女性に「できるだけさかのぼりたいんですけど」と言ってみた。
「あそこは何筆かに分かれているけど、代表的な一筆でいいわよね」と、親切に、いろいろと対応してくれました。
そんでね、笑っちゃうんだけど、また例によって「でもどうして、そんな古いのがほしいの?」と聞かれました。
あはは。
こないだは少年に「おじさん、この雨のなか、なにやってんの?」と聞かれたし。
まぁ趣味です、というようなことを話したら「閉鎖登記簿の謄本も用意しておく」とのこと。
しばらく待ってたら、「旧土地台帳も用意したわ。台帳は無料よ。印紙は閉鎖登記簿のもあわせて2,400円ね」というので、払おうとしたら、やべ、現金がない。
カードかパスモ使えますか?
ごめんなさい、使えないです。
・・・とのことだったので、ひのきPからカネを借りた。
読者諸兄姉、明日、返さなきゃいけないので、このことを覚えていてくれたまえ。
明日、オレが債務不履行になりそうだったら、声がけよろしくです(笑)。
そんでな。
まず、現在の登記事項証明書。
なにもおもしろくない。
乙区がないので抵当権とかは設定されていないようだ。
それでは、その前。
閉鎖登記簿。
ざっくり追っかけていきますと・・・
大正12年8月14日に大蔵省が所有権保存。
昭和44年6月28日に株式会社新都市開発センターに所有権移転。
住所変更などの変更登記が間に入る。
そんで、合併だ商号変更だというプロセスを経て、株式会社サンシャインシティに所有権。
さてみなさんここで問題。
大正12年8月14日(今日が8月16日なので、いまから約100年前だね)に大蔵省が所有権保存の登記をしているが、その前は、誰に所有権が帰属していたのだろうか。
現存している登記(閉鎖登記簿も含めて)の内容よりも前のことを知りたい。
・・・・となると。
じゃじゃーん。
(旧)土地台帳。
それも用意してくれてました。
だがしかし・・・・
なに書いてあるか、ぜんぜんわからねーよぉ〜\(^o^)/
でもまぁ、せっかくだから解読してみましょう。
ちょっと分けてみるか。
まずここ。
①地目(土地の使われ方)が「官有地」だ。
現在の不動産登記法での地目は23種類に限定されているけど、23種類のうちに「官有地」という地目はない。
〈いま使われている地目〉
田、畑、宅地、学校用地、鉄道用地、塩田、鉱泉地、池沼、山林、牧場、原野、墓地、境内地、運河用地、水道用地、用悪水路、ため池、堤、井溝、保安林、公衆用道路、公園及び雑種地
官有地っていう地目なんだけど、当時はあったみたい。
調べてみたら、当時の地目にはこんなのがあった。
大蔵省用地、官有地、稲干場、死獣捨て場、監獄用地、行刑場など
その下の②
反別:面積のこと。単位は反(たん)。182反(たん)90畝(せ)4歩(ぶ)
・・・と、この読み方があっていれば、なんだけど、1反が991.7㎡らしいので、182×991.7で、だいたい18ヘクタールくらいかな。
地價:地価のこと。単位は圓。旧字だ。2,348圓25銭3厘。オレみたいな物好きな方、現在価値に換算してください。
地租:地租すなわち税金のこと。おなじく単位は圓。58圓71銭6厘ということだったのかな?
あ、そうそう。
この(旧)土地台帳なんだけど、いまでいいうところの「権利の対抗要件を備えるための登記」というような意味合いじゃなったらしい。
どちらかとうと課税台帳。
税金を取り立てるために用意されたものらしい。
なので、いまの登記では見られない地価や地租のことが載っているわけです。
で、その下。
③登記年月日:旧土地台帳は明治22年(1889年)からの所有者が記載されているらしい。
となると、最初に日付が入っていないということは、明治22年よりも前から所有していたということらしいのだが、いったい誰が持っていたのか。
その下に④「事故」とあるけど、これはいまでいうところの「登記原因」のことらしい。
なので空欄の左は「名義変更」「保存」とか書いてある。
で、その下だ。
⑤所有主住所・質取主住所。
所有主住所は、所有者の住所ということなんだろうけど、質取主とはなにか。
不動産質のことらしい。
担保として不動産を質に取る。
すげーでしょ、当時。
たぶん、抵当権という概念(権利)よりも、その「物」自体を担保に取るというのが、ふつうの概念だったのであろう。
考えてみれば、抵当権なんて、カネを融資する金融機関(金融制度)が発達していなければ運用できないしな。
当時の金融状況は、いまみたいな感じじゃなかったんだろうね。
なんてったって約100年前だ。
大昔は不動産質が全盛だったと聞いたことがあったけど、たぶんまぁ、そういうことだったのであろう。
不動産に質権を設定している人がいるんだったらここに住所が書かれるんだろうね。
で、住所なんだが。
なんじゃこりゃ。
元巣鴨村
元池袋村
いまの巣鴨や池袋は村だったというのはなんとなく予想できるでしょ。
なので、村有地ということだったのかな?
その下。
⑥所有主氏名・質取主氏名
ここでなんと、いきなり「監獄敷地」だ。
・・・っていうか、氏名が「監獄敷地」だ。
ということは、村有地で監獄敷地として使っていたけど、地目は「官有地」という、システムの最初にありがちな、なんだかわかんないからテキトーに書いておいたという「混乱状態」だったということだったでしょうか。
そんでね。
④の「事故」のところに戻ると、3つ目のところに「保存」がある。
その上の③の登記年月日のところを見ると、よく読めないけど、たぶん大正と書いてあるんだろうね。
大正12年8月14日に、所有権を「保存」という意味なのであろう。
いまだったら「所有権移転」となるのかな。
で、司法省(というのが当時あったのだろう)に所有権が帰属。
この大正12年8月14日という日付を根拠に、今日の不動産登記があるわけだ。
でもさ。
たかだか100年前なんだけどね。
もうふつうの人には読めない資料になっちゃうんだね。
★今回もなるべく検索されたくなかったので、逆SEO対策としまして、なるべく固有名詞(検索されやすいワード)を使わずに構成しましたこと、お察しください(←出た、ご理解ください系のウザいやつ・笑)。
今日の動画
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