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【宅建ダ】水路を埋め立てて区境を定めず。放置プレーで60年以上だそうです。

彼女のちょうど胸元の真ん中にある『首都高物語〜都市の道路に夢を託した技術者たち〜』(一般財団法人首都高速道路境界、青草書房、2013)によると、首都高の都市計画決定のプロセスはこんな感じだったみたい。

 

1959年(昭和34)5月:1964(昭和39)年の東京オリンピック決定

1959年(昭和34)6月:「首都高速道路公団」発足

1959年(昭和34)12月:首都高速道路網の都市計画決定

 

この昭和34年の段階では、もちろん首都高の「しゅ」の字もない。
とにかく、なんにもない。

がしかし、1964年の東京オリンピックに向けて、やれ新幹線だ、やれ首都高だということになって、それはそれは、もうたいへんな騒ぎだったようです。

ちなみにですね、首都高が最初に開通したのは、昭和37年12月だってさ。
きょえー。
すげー。
はえー。

はたして、なんにもないところからどうやって首都高なんて作ったのだろうか。

そもそも、戦後の焼け野原からの復興は復興なんだろうけど、もはや東京には建物がぎっちり、ぎちぎちに立ち並んでいるわけで、果たして用地取得はできるのだろうか。

過密都市で道路などの公共施設の建設は、そりゃかんたんには進まないし。

このため、彼らは、運河や河川、堤防などのスペースを全面的に活用していくプランを作成したのでありました。

時間もないしね。

荒川や隅田川の堤防、河川の上をいかに効率よく活用していくか。

それからもうひとつの条件。

皇居の中を通らずに、ですね。

かくして、道路用地の41.8%を河川から利用することになった。

そんな首都高速ですが、銀座のこの写真。

数寄屋橋から日比谷方面にカメラを向けての撮影です。

 

 

道路の上に高速道路(みたいなもの)が走っていますね。

銀座1丁目から銀座8丁目を結んでいる高架の道路で、KK線と呼ばれるものです。

日比谷方面に進んで、振り返るかたちで撮った写真がこれら。

 

 

 

みなさん、なにか異変に気が付きましたか?

そうなんですよ。

建物の屋上が道(KK線)になっている。

 

 

さきほどの『首都高物語』のP.32〜38を一部抜粋して以下引用します。

 

アイデアマンの石川は首都高速道路建設計画の策定に当たり、民家の屋上に高速道路を通す、という構想を打ち上げた。これを受けて実業家の樋口実は1950年(昭和25)、「スカイウェイ・スカイビル計画案」を申請した。後に、有楽町・数寄屋橋地域に延長2キロの「東京高速道路」、現在のいわゆる「KK線」として実現する。

 

この界隈は外堀(水路)だったそうで、そこを埋め立てて建物を建て、そして屋上を道路にした、みたい。

あ、それでね、ご存知の方も多いとは思いますが、じつはこのKK線、厳密にいうと「首都高」ではないそうです。

がしかし、首都高と「京橋JCT」「西銀座JCT」「汐留JCT」の3ヶ所でそれぞれ連結され、実質的には首都高のネットワークの一部となっておりますが。

あとね、このKK線の下(というか、もともとの建物のなか)には、我々がよく行くガスト(ワタクシどもは、サテライトオフィスと称しておりますが)などの飲食店や衣料店などが、めっちゃ軒を並べておりますが、なんと、住所がない。

 

・・・は?

 

このKK線が建設されているのは外堀(水路)を埋めたところで、KK線ができる前は、水路の中心線が、この界隈の千代田区、中央区、港区の区境になっていたらしい。

ところが埋めててビルを建てた。

 

えーと、区境はどうしましょ???

 

1つの建物のど真ん中に境界線を引くわけにもいかないようで、以来、60年以上にわって放置プレー続行中。

あは〜\(^o^)/

でも郵便は届くみたいです。

そりゃ人が配っているから、店名がわかれば配達できるしね。

2021-07-14 | 散歩の達人・街宅建